【10/17,18】令和2年度秋季大会 プログラム・要旨集

 非会員の方へ  

 このたびの大会では、非会員の方の参加を受け付けておりません。
 新型コロナウイルス感染症予防のため、今回は参加者を会員のみに制限させていただくこととなりました。ご了承くださいますようお願い申し上げます。

 

 (会員の方)会場での新型コロナウイルス感染症予防について  

 会場のフェニーチェ堺から新型コロナウイルス感染症予防のために、いくつか指示がはいっております。何かとご不便をおかけいたしますが、よろしくご協力をお願いいたします。

  • 受付にて赤外線体温計で検温させていただきます。また、手指消毒の上、入室してください。
  • 会場では間隔を取っての着席をお願いいたします。また、会場内では、マスクあるいはフェイスシールドの着用をお願いいたします。

 

 (会員の方)リモート参加をご希望の方へ 

 本大会はZoomにてリモート参加が出来るように準備を進めております。リモート参加ご希望の方は、案内状同封の返信用葉書にその旨、およびEメールアドレスをご記入ください。リモート参加の方法等につきましては、ご希望の方に、順次Eメールにてご連絡いたします。

 

概要

期日 令和2年 10月17日(土)・18日(日)
会場 フェニーチェ堺 FENICE SACAY(堺市民芸術文化ホール)
文化交流室・小スタジオC(大阪府堺市堺区翁橋2-1-1)
地図

【第1日】 10月17日(土)

隆達節歌謡講座

  • 隆達節歌謡講座 13:15~17:00 3階 文化交流室
     開会の辞
    • 第一講 隆達と堺文化圏早歌・茶の湯・連歌、そして三好一族 大阪教育大学 小野 恭靖
    • 第二講 「隆達節歌謡」伝本の多様性について 清泉女子大学 姫野 敦子
    • 第三講 「隆達節歌謡」の譜曲節を探る 智辯学園奈良カレッジ 下仲 一功

展示(両日開催)

【第2日】 10月18日(日)

研究発表会・総会

  • 研究発表 午前の部 10:00~12:10 3階 文化交流室
    • 『古事記』下巻「つぎねふや」歌謡物語と葛城氏 →要旨
        立命館大学大学院 川上 麻惠
    • 『源氏物語』「賢木」巻における催馬楽「高砂」―頭中将と光源氏の贈答歌に注目して →要旨
        盛岡大学 山﨑  薫
    • 琉球古典箏曲「歌物」三曲の類歌関連歌謡をめぐって →要旨
        関西外国語大学 井口はる菜
  • 昼食・休憩
  • 研究発表 午後の部 13:10~14:30
    • 宮廷儀礼のうたの制定 ―明治維新以後の神楽大曲・神楽秘曲と『古今和歌集』巻二十大歌所御歌 →要旨
        皇學館大学 瓜田 理子
    • 「風俗歌」とは何か ―風俗歌テキスト生成にかかわる諸問題について →要旨
        獨協大学 飯島 一彦
  • 閉会の辞 

  (終了後、ご希望の方には、顕本寺隆達墓所にご案内いたします)

展示(両日開催)

 

研究発表会要旨集(第2日)

研究発表会 午前の部

『古事記』下巻「つぎねふや」歌謡物語と葛城氏

立命館大学大学院博士前期課程 川上麻惠

 葛城氏出身の嫉妬深い大后、石之日売命は、異母妹と結婚した仁徳を恨み怒り、山代河を遡り筒木へ至る。この道中に石之日売命は『古事記』五七番歌(以下「五七番歌」と言う)を歌う。

 五七番歌「つぎねふや 山代河を …  河の上に 生ひ立てる 烏草樹を 烏草樹の木 其が下に 生ひ立てる 葉広 斎つ真椿 其が花の 照り坐し 其が葉の 広り坐すは 大君ろかも」の解釈は「葉広 …  大君ろかも」を重視する天皇讃美説と、「烏草樹の 木其が下に 生ひ立てる」を烏草樹の下にいる天皇と解しうることによる天皇非難説の大きく二つに分かれる。

 本発表ではまず、五七番歌の「其が下に」を烏草樹の下にと断定し解釈する研究史の問題点を明示する。さらに五七番歌を天皇讃歌と見ると烏草樹の下にいる天皇という構図及び天皇への怒りを描く物語散文との矛盾が残る。また、非難歌とすると樹種不明な烏草樹に重きを置くことに疑問が残る。

 これに対し、本発表では「其が下に」は「河の上に」との対応表現であることを古代歌謡における上下の意識や指示語の使用例を元に明らかにする。そして、五七番歌の直後に石之日売命が歌う、同じく「つぎねふや」で始まる『古事記』五八番歌(以下「五八番歌」と言う)に着目し、二つの歌と物語散文とで一つの道行様式にあることを指摘する。その上で、五七番歌の解釈は五八番歌と合わせて考える必要性を提示する。以上を踏まえ、本発表は、五七番歌は天皇への想いを歌ったものではなく、石之日売命が帰郷の意志を明確にするものであるという散文に即した解釈を提示する。加えて、皇妃の帰郷はその後、天皇行幸時の当該氏族の服属儀礼を伴うという特徴を他の行幸譚より示す。一方、石之日売命は帰郷せずに筒木に至るが、その後の仁徳行幸時に葛城氏による服属を描いていない。これは帰郷の意志がありながらも自国に至らないことで葛城氏の服属儀礼を描くことを避けた『古事記』の葛城氏への配慮と考える。そして、これは『古事記』編纂時に葛城氏が天皇家に比肩していたことの示唆であるとし、本発表の結論とする。

『源氏物語』「賢木」巻における催馬楽「高砂」―頭中将と光源氏の贈答歌に注目して

盛岡大学 山﨑 薫

 『源氏物語』における催馬楽引用では、しばしば、本文中に直接引かれている部分のみならず、詞章全体が踏まえられて物語に活かされていることが確認できる。本発表では、「賢木」巻に見られる頭中将と光源氏の贈答歌もまた、催馬楽「高砂」の詞章全体の内容を利用した巧みなやりとりとなっていることを指摘したい。

 「賢木」巻では、韻塞の負態において、頭中将の子息の弁少将が「高砂」を歌唱する。これを承けて、頭中将は「それもがとけさひらけたる初花におとらぬ君がにほひをぞ見る」と詠む。既に諸注で指摘があるように、この歌には「高砂」の「今朝咲いたる 初花に」という詞章に加え、『白氏文集』巻第十七所収の律詩「薔薇正開 春酒初熟 因招劉十九張大崔二十四同飲」の第一聯、「甕頭竹葉経春熟 階底薔薇入夏開」が踏まえられている。それによって「高砂」の詞章における「初花」の「百合」は、「薔薇」に捉えなおされながらも、「初花」を賛美するという「高砂」詞章の内容が意識され、その花に匹敵するものとして光源氏を褒めたたえる歌となっている。これに対して、光源氏は「時ならでけさ咲く花は夏の雨にしをれにけらしにほふほどなく」と詠む。「時ならでけさ咲く花」とは、やはり「高砂」の詞章を踏まえながら、勢いの衰えた自身を夏に咲く花に喩えた表現であり、ここには、花は春に咲くべきであるという意が込められている。注目されるのは、「高砂」の詞章において、春に開花する花(「椿」「柳」)と夏に開花する花(「百合」)が対比されているという点である。七段の詞章から「高砂」の時節は初夏であると考えられ、盛りの過ぎた「椿」「柳」に対する「初花」の「百合」の優位が歌われる内容として解釈しうる。一方で、光源氏の歌は、実は夏に開花する花こそが時節に合っておらず衰えているのだと詠んだものであり、「高砂」の詞章全体を踏まえた上で、その内容を見事に反転させていると言える。

琉球古典箏曲「歌物」三曲の類歌関連歌謡をめぐって

関西外国語大学 井口 はる菜 

 琉球箏曲は琉球に伝わる独自の箏曲である。「段の物」7曲と「歌物」3曲の計10曲を固有の独奏曲として伝え、さらに琉球で独自に三線音楽の伴奏に加わってレパートリーを広げ、今日に至っている。しかし、これらを総合的に研究した資料は非常に少なく、昭和48年刊行のレコード『沖縄の箏曲』(監修:田邉秀雄、平野健次。ポリドールMN9045〜9047)の解説が唯一の研究資料と言っても過言ではない。また、これら楽曲の成立過程については、18世紀以降に日本本土から琉球に伝わった音楽であると言われてはいるが、未解明の点が多いのが現状である。

 前述の固有曲10曲については、2016年に「琉球古典箏曲」として、国から「記録等の措置を講ずべき文化財」に選定されており、その解明が求められているが、この記録作成のための組織として、2018年4月から「琉球古典箏曲記録保存調査会」が立ち上げられた。発表者は同調査会の調査員として、「歌物」3曲《源氏節》《船頭節》《対馬節》について、歌謡研究の立場から改めて類歌の追跡調査を行い、先学によって明らかとなっているものも含めて整理してみた。その結果、《源氏節》は御船歌、《船頭節》は八月踊り歌や疱瘡踊り歌などとの関連が明らかとなり、また《対馬節》については、対馬の「鍛冶屋節」の影響を受けた歌であると考えられていたが、その「鍛冶屋節」とほぼ同歌が大分県佐伯市の盆踊り歌に見つかったほか、新たに三宅島や八丈島で歌われた歌謡に類歌を発見した。さらに、近世歌謡集として貴重な琉球大学宮良殿内文庫蔵『大和歌集』にも、「歌物」3曲の類歌が収録されていることを突き止めた。

 なお本発表は、昨年の東洋音楽学会第70回大会(於:京都市立芸術大学)において、「琉球古典箏曲記録保存調査会」の他3名の調査員と「琉球箏曲歌物の形成と関連歌の広がり」と題して共同研究発表をした中から、発表者が担当した内容をもとに、その発表以後に知り得た情報を加えて発展させたものである。

研究発表会 午後の部

宮廷儀礼のうたの制定 ―明治維新以後の神楽大曲・神楽秘曲と『古今和歌集』巻二十大歌所御歌

皇學館大学 瓜田 理子

 明治維新後すぐに新政府は、神楽歌を継承していた家々に神楽大曲・神楽秘曲の譜面の返上を命じた。その後時間をかけて行われた神楽秘曲の統一譜(いわゆる明治選定譜)の制定及び運用の有様を、まず宮内庁書陵部蔵『御神楽録 自明治三年—至大正八年』と『楽曲撰定録 自明治三年—至大正四年』を参照して整理する。明治9年と21年に編集された雅楽譜(明治撰定譜)の神楽歌の曲目を確認し、宮内省楽部の神楽歌の撰定と宮中から伊勢神宮に導入された神楽歌の撰定を比較検討することも必要となろう。

 ところで令和元年に新天皇の御大礼は無事に斎行され、一連の儀礼の最後として、12月4日に「即位礼及び大嘗祭後一日賢所御神楽の儀」で神楽歌一具に加え、神楽秘曲も奏楽された。統一された歌唱譜によって宮廷儀礼の中で「うた」が宮内庁式部職の楽師によって歌われるというこの形式は、右に見るような明治政府による近代化によって生じたととらえられる。しかし、考えてみると、このようなことはすでに『古今和歌集』巻二十大歌所御歌が撰録されるときに起きていたことではないのだろうか。『古今和歌集』巻二十は宮廷儀礼の中の歌謡を継承するための方策の淵源として見ることはできないだろうか。

 令和元年度日本歌謡学会秋季研究発表会で近代大礼における神楽秘曲について報告した際に、明治政府による近代化の視点として、神楽大曲・神楽秘曲の統一譜の制定と譜面による継承に言及したが、その際『古今和歌集』巻二十大歌所御歌のまとめられ方に類似するものがあるのではというご指摘をいただいた。 それを改めて考えたいのである。

 本発表では、明治維新以後の神楽大曲・神楽秘曲の統一譜の制定過程を詳細にとらえることで、『古今和歌集』巻二十の形成過程の諸相の中に相似性を見て取ることができるか、それぞれの内容と成立背景の中で一体何が相似しているのか、それが意味するものは何かを検討しつつ明らかにしたい。

「風俗歌」とは何か ―風俗歌テキスト生成にかかわる諸問題について

獨協大学 飯島 一彦

 風俗歌に関して、その活字化されたテキストを引用しようとする場合、一般的には通常頼るべき本文は現在でも旧岩波日本古典文学大系の『古代歌謡集』(風俗歌は小西甚一校注、昭和32(1957)年刊)ということになる。しかもその底本は基本的には江戸時代の刊本『楽章類語抄』(高田与清著、文政2(1819)年)であり、村田春海の写本を編集して示した編纂物(歌謡集)であった。つまり『古代歌謡集』刊行以後すでに半世紀以上経過しているにもかかわらず、いまだに江戸時代の国学者の業績に単純に依拠したままで研究が進められるということになるのである。『楽章類語抄』を底本に用いること自体に問題があると言っているわけではない。それはすでに『日本歌謡集成』が風俗歌のテキストとして掲げており、研究上一定の地位を占めたのは間違いない。

 しかし『古代歌謡集』刊行以前には、すでに文治本の『風俗譜』も知られ、さらに承徳本『古謡集』に「風俗」(「風俗歌」ではない)が収載されているのは周知で、遡れば『群書類従』にも「東遊歌図」として『楽章類語抄』の本文と同系統の歌詞が収められていたのであった。また、2008年には旧鍋島家蔵の古本『東遊歌風俗歌』が発見された。これらには看過できないテキストの異同が多々存在する。しかもそのすべてが二重三重の編纂物だと考えられる。ここに加うるに、賀茂真淵本を祖とするとおぼしき本居宣長系の写本も多数存在する。それらをどう考えるか、『古代歌謡集』はほとんど何も答えていない。『古代歌謡集』以降では、承徳本『古謡集』(東遊や神楽を含む雑纂)の風俗に対する注釈が行われたが、『古謡集』以降のテキスト生成に関してはなんら触れられるところがない。

 本発表ではまず、『楽章類語抄』の風俗歌のテキストがどう形成されたかについて焦点を絞って考察したい。

※本研究はJSPS科研費 JP18K00324の助成を受けたものです。

展示「歌謡を書く」について

 展示「歌謡を書く」は、書家で本学会会員でもある藤原彰子氏による、歌謡と書と料紙の調和が見事なコラボレーションです。会員のみなさまには、「『歌謡を書く』ということ」を案内状に同封しております。会場で、ぜひお楽しみください。

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