令和4年度秋季研究発表会 プログラム(要旨あり)

日本歌謡学会 令和4年度秋季研究発表会 プログラム(令和4年11月12日に終了しました)

期日 令和4年 11月12日(土)
会場 清泉女子大学(Zoom併用)

研究発表会 
13:30~15:40  1号館 141教室

●開会の辞                           清泉女子大学学長 佐伯 孝弘

  1. 船歌の歌唱形態の変容と太鼓の役割について―鹿児島県いちき串木野市羽島崎神社「羽島舟唄」を事例として―
                           鹿児島県大学法文学部特任専門員 片岡 彰子
  2. 足柄明神のために―「恋為ば」そして『真名本曽我物語』から―
                            神奈川県立総合教育センター 鈴木 信太郎
  3. 来目歌の考察
                                    昭和女子大学 烏谷 知子

●閉会の辞                           日本歌謡学会会長 姫野 敦子

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清泉女子大学 姫野敦子研究室内

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Tel : 03-5421-3735(研究室直通)

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研究発表要旨

1.

船歌の歌唱形態の変容と太鼓の役割について―鹿児島県いちき串木野市羽島崎神社「羽島舟唄」を事例として―

鹿児島大学法文学部特任専門員 片岡彰子

 

 本発表は鹿児島県いちき串木野市羽島崎神社の奉納歌唱「羽島舟唄」を事例として、船歌の歌唱形態と使用楽器である太鼓の役割について論じる。

 船歌は幕藩期における大名家等の御座船運航で歌われた「御船歌」や、正月の船祝い等の神事で現在も歌われている歌謡をさす。その研究は各地に残された歌詞集からの詞章研究や現在歌われている船歌からの曲節に関する調査研究等が行われている。しかし船歌の多くは録音資料のないまま継承者が途絶え、具体的な歌唱方法や使用楽器の演奏方法が分からなくなっている。例えば愛媛県宇摩地方の船歌研究では聞き取り調査から二つの声部がそれぞれのフレーズの終わりを少しずつ重ねて歌っていたことが判明しているが、どのように重ねていたのかは分かっていない。また多くの船歌で用いられていた太鼓の入る位置についても譜面等の史料がないため「リズムを刻んでいた」「歌い出しの出と関わっていた」等の推測にとどまっている。

 その中で江戸期から歌い継がれている「羽島舟唄」では現在も羽島崎神社の春祭で奉納するために練習が行われており、太鼓の鳴らされる箇所が明記された歌詞集が存在する。そこで筆者は2019年から2022年にかけて「羽島舟唄」にかかわる人々への聞き取り調査と練習現場や祭礼当日における参与観察、および録音・録画から得た資料をもとに楽曲分析を行い、一事例においてではあるが上記のような疑問点を解明した。また歌詞に出てくる地名や事象を各地に残る文献等と照らし合わせ、奉納時の特徴ある歌唱形態の考察を試みた。その結果「羽島舟唄」は御座船の歌唱の姿は残しつつ、1対多の歌唱形態を多対多に発展させ、「といつき」と呼ぶ二声部の各々のフレーズの末を重ねる歌唱技法と一聴では規則性が見いだせない太鼓の演奏によって歌唱の響きに波のような効果を加えていること、及び神社全域を用いて「見立て」の航海をしつつ歌う点に特徴があることが明らかとなった。

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2.足柄明神のために ――「恋為ば」そして『真名本曽我物語』から――

神奈川県立総合教育センター 鈴木信太郎

 足柄明神に関連して、両性の「仲らい」にかかわるものと、今様の大曲「足柄」の師資相承に関するものの二種類に大別できる説話が存在することはよく知られている。

 この発表では、二つの視点から足柄明神の説話について論ずることとしたい。

 まず、「神話」とも呼ばれる説話のうちの前者について、『四部合戦状本平家物語』(以下、『四部本』という。)の重衡「海道下」で述べられる「恋為ば」の歌を中心に論じてみたい。『四部本』のこの歌は、足柄明神の「他国渡航説話」を媒材として解釈すると意味不通となるため、何らかの誤りという見解が通例のようである。こうした中、藤原師長の今様「足柄」に関する琵琶譜の歌詞が近年明らかにされたが、その中の「恋ひせば」の歌意は『四部本』のものと同趣旨であると思われる。このような研究動向を踏まえ、『四部本』の「恋為ば」を再考してみることにする。

 次は、二つの説話とは全く異なる説話が、『真名本曽我物語』(以下、『真名本』という。)に登場する。『真名本』では、五カ所足柄明神について記載があるが、その中で「頼朝流離譚」における大庭景義の「夢解き」と「矢立杉」に登場する明神に着目してみたい。「仲らい」や今様とは無関係な、武神的性格を帯びた異貌の明神をそこに見出すことができる。「夢解き」は、『延慶本平家物語』や『源平盛衰記』、『源平闘諍録』においても同じ話型で扱われているが、『真名本』のみ足柄明神を付加している。「矢立杉」についても、『太山寺本曽我物語』などの仮名本において記載はあるが、足柄明神が現れるのは『真名本』のみである。こうしたことの意味について、実朝の和歌をも援用しながら論究してみたいと思う。

 そして、最後に、『四部本』、『真名本』という言語圏等で親近性が指摘される作品に、足柄明神の説話が挿入されていることの研究史的な意義について考えてみたい。

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3.来目歌の考察

昭和女子大学    烏谷知子

 

 神武記には天皇を歌い手とする九~十四番の六首の歌謡が載せられる(以下歌謡番号は新編全集による)。十~十二番には「厳々し 久米の子ら」、また十~十三番には「撃ちてし止まむ」の共通した詞章が詠まれ、敵を討とうとする天皇の強い意志が示される。紀は七番を天皇の御謡(みうたよみ)として「来目歌」と名付け、「今し楽府に此の歌を奏ふには、猶し手量の大き小きと、音声の巨き細きと有り。此古の遺れる式なり」という記にはない記述がある。一方記九番には、「ええしやごしや〈此は、いのごふそ〉ああしやごしや〈此は、嘲咲ふぞ〉」の紀にはない、歌の機能を示す語が詠み込まれる。紀八番は「御謡」とし、「謡の意は、大石を以ちて其の国見丘に喩へたまふなり」という記にない説明がされる。記十番と紀九番はほぼ同内容だが、紀は大来目部を帥いた道臣命が攻め込む合図として歌ったとし、次の十番の記にはない歌謡の前には、「皇軍大きに悦び、天を仰ぎて咲ふ」と記され、歌の後に「今し来目部が歌ひて後に大きに哂ふは、是、其の縁なり」と所作の歴史的起源を説明し、記にない十一番の「蝦夷を 一人 百な人 人は云へども 手向ひもせず」 には、「此は皆、密旨を承けて歌ひ、敢へて自ら専なるに非ざるなり」と統率された皇軍の様を表す。紀十二~十四番も「御謡」とされ、「凡て諸の御謡は、皆来目歌と謂ふ。此は歌へる者を的取して名くるなり」と記される。

 これらの説明によれば「来目歌」と称されるのは天皇の「御謡」であり、歌曲名が二箇所にわけて記される。「謡」には『新撰字鏡』天治本・享和本に「和佐宇太」の訓がある。ワザウタの表記は「童謡」が一般的であるが、皇極紀二年十一月条に「謡」、同三年六月条に「謡歌」とある。一方「歌」によって示される部分は、神武紀元年正月条の「初めて、天皇、天基を草創めたまひし日に、大伴氏が遠祖道臣命、大来目部を帥ゐ密策を奉承り、能く諷歌・倒語を以ちて妖気を掃蕩へり。倒語の用ゐらるるは、始めて玆に起れり」 の由来と響きあう。

 来目歌は、歌謡の詞章や伴う所作によってその機能を発動した歌謡として書紀に位置付けされたことを考察する。

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